寝る日記

日記書きます。http://twitter.com/nitwo04

2021/07/06 火


店内で"Soda City Funk"が流れていた。람다람のMVで聴いた曲調とは違い、歌詞にそぐわぬ緩やかさだった。帰ってから観ようとしていた「昨日の日記」を休憩中に観る。サンドイッチに挟まっているレタスの音がうるさいくらいに響く。


3、4日ほど放置していたTwitterメインアカウントにログインしても感情が動かなかった。感情が揺らぐような何かがあるかと思いきや何も無く、つまらないものだった。今書いている日記の形態もそうだが、普段と違って事細かに時間を記載して時系列をまとめようともしない。それは影響を受けた人の日記形式を放棄したわけじゃなく、Twitterを休んでいた間にメモを開く回数が減ったことにある。

自分の日記はメモアプリに時間と出来事を単語か簡易的に残し、それを後に肉付けしている。Twitterで呟いていなかったわけではない。同棲していた頃に不満を書き連ねる誰も誰からも見向きにされないアカウントで「さみしい」とかは呟いていた。気が滅入るとインターネットの片隅で気持ちを吐くしか無いのだ。メインアカウントとは違って情報が流れない空間に自分の吐いた言葉が流れていくのは面白く、日記を書くことなんて忘れていた、というのが正しい。だからその時あった事を逐一メモする習慣が消えていたのだ。日記の形式は人それぞれで、他人の日記を読む度に違った見方、想像、色々な感情が湧く。他人からは「(時間表記に対して)細かいですね」と言われることがあるのだが、嫌な気持ちにはならないものの、人それぞれの伝え方があるだろう、と思う。140字に収まるものでも、写真を添えてまとめるものでも、どんな形であろうとも日記は面白い。

日記というコンテンツは素晴らしい。気が付けば中学生の頃からインターネットに日記を載せていた。今でこそ毎日続けているが、週に1度の時もあれば半月に1度の頃もあって気が向けば1日をまとめていた形もある。Twitterと日記は同義として捉えている側面もあるので、メインアカウントを開く度にメモを取っていたんだな、と休んでいる間に感じたのだ。