寝る日記

日記書きます。http://twitter.com/nitwo04

メモの遺物 1

2021/2/9 9:09 に書いていたメモです。書きかけのまま残っていたので掲載


労働について

 


日曜日に午前中からバイトに勤しむ自分を客観視してみると、今迄の労働歴を振り返りたくなった。現在、東京でフリーター生活を送っている自分には履歴書に書ける程度の職歴が少しだけある。

 


アルバイトの初経験は、高校3年間やり通した地元のスーパーマーケットでのレジ打ち。部活動強制入部制度の学校で唯一、部活動に行ってない人間だったかもしれない。未経験なのにテニス部に入部して初日で辞めてから、地元の友人(つっくん)を誘って一緒に面接を受けるも、自分だけ採用されたのは酷いことをしたな、と思う。不採用だったつっくんはガストで3年間バイトして、自動車学校の学費を自ら支払うほど働いていて、その働きっぷりが店長に認められて正社員雇用されそうになったらしい。ステーキ焼く資格みたいなの取ってたな。

バイトしていたところは、小さなスーパーなので品出し業務も無かった。物事を継続出来ない自分が3年間続けられたのは、仕事終わりにパンとジュースが貰えたからかもしれない。

 


高校卒業後はNTTの下請け会社に就職。高卒正社員。

工業高校電気工学科出身です。ここで今更言うのも何ですが、中学時代に勉強を一切していなかったので、普通科に行って大学へ進むルートを全く考えていなかった。電力会社に勤める叔父のルートをなぞって欲しかったのか、親に言われるがまま工業高校へ進んだのは浅はかだったと後悔しています。学力がクソ低いワケでもないのに。

脱線してしまいましたが、NTTの下請け会社で働き始めた瞬間に「辞めて〜」って感情しか沸きませんでした。その頃、ULH(ウルトラライトハイキング)にハマっていた自分は、ミシンでサコッシュ等を製作して、ガレージブランドを起ち上げる気でいたからです。諦めたんですけど。

他にも辞めたい理由が幾つもあるんですが、中でも「建柱」部署がめちゃくちゃ嫌だった。字の如く"電柱を建てる"ところです。自分は体力仕事があらゆる労働で一番苦手です。面接で「小学生の頃は野球、中学は陸上やってました!体力には自信あります!」って言わなきゃよかった、全然体力に自信無いのに。

2週間毎に「建柱」「接続」「架線」の部署を廻るんですが、建柱の人間は親方気質で激務だった。父親が大工の棟梁だったことあって、ウンザリしながら働いていた記憶がある。些細な事でも怒鳴られる労働環境が嫌すぎるから、怒鳴られても無視していたら逆に仕事出来るようになっちゃって、終わり際は優しく接してくれたのを覚えている。親方気質な人はツンデレ、間違いない。

夏頃に1ヶ月間、大阪府吹田市でNTTの研修があってNTT内の資格試験みたいなものを取得?させられる。大卒の方も一緒に受けていたから必須社内研修みたいなものかもしれない。1ヶ月間のホテル暮らしは楽しかった。会社から支給される金を誤魔化して交通費に、京都にある建築専門学校のオープンキャンパスに行って入学を志す。これが東京研修だったらデザイン専門学校に行ってたと思う。大阪研修での筆記テスト、実務研修は成績トップで終わった。偉い。

研修後は隣の市にある元請け会社に配属された。その部署は激務も激務で「新入社員に残業代は出さない」って平気で言うクソ上司、通勤距離の長さに疲労困憊。同じ市内で働く同期は「保守」部署に配属されていて業務は、忙しくないらしく、この差は何なんだ!と憤りを感じた。ある時に部長から「配属してすぐなんどけど、建柱部署に異動してくれない?」と薦められて、(あ〜建柱の親方が引き抜こうとしてるんだな〜)って思ったけど、それを断って「申し訳無いんですけど、保守に興味があるので異動できたら〜…」と適当な事を言ったら、すぐに異動させてもらえた。研修での成績が考慮されて融通利かせてもらえた。

「保守」は事故で架線が切れたりしたら補修する部署。それ以外は点検か鳥害対策、伐採等のみ。架線が切断されることはほぼ無いし、架空電話線に腐食があれば探知して直したりするだけだから、めちゃくちゃ楽。上司とすぐに打ち解けて、職場関係も円満。この楽な労働環境のまま京都に進学する気しかなかった。

入学試験も通過した頃に「4月で辞める」と仲の良い上司に伝えてからは地獄だった。露骨に無視されるし、定年退職し再雇用されたおじいちゃん社員と一緒に山奥の基地局を点検するドライブだけの仕事ばかりやらされた。ギスギスの労働環境がしんどかったけど、吹っ切れてから有給使って白山登山に行ったりした。人生で有給を使ったのはこれだけ。

 


京都ではバイトはしなかった。仕送りで生きていた。夏季休暇は高校の友人に紹介されたレンタカーでバイトした。レンタカーの洗車と移動等。カラオケも併設している店舗なので、たまに掃除したりすることがあったけど、メインは車の移動が多かった。色んな車を運転して貸し出し先に届けるのは楽しいけど車内で煙草が吸えなかったのは辛かった。

二級建築士試験に落ちて鬱になって中退してからは、地元に戻って実家でニートになった。派遣のバイトを友人達と一緒にやっていた時期もあった。ONE OK ROCKのライブ設営しかやってないけど。

隣県までバスで移動してまで、鉄の塊を運ぶ派遣労働者が哀しく見えた。友人達とその場から抜け出して、ライブ会場の外を歩きながら時間を潰していた最悪の労働者だった。ライブが始まる頃に、客席でチケット確認するスタッフとして、背中で爆音の「自分ROCK」を聴いていたのを覚えている。中学時代はみんなワンオク聴いていた。

あと、1つだけ派遣のバイトをしたことがある。県内に新しいイオンモールが出来た頃に店舗の設営?をする派遣に1人で行った。40代くらいのおじさんと一緒に車に乗り込んで無言のまま向かったのは気まずかった。イオンに着いた頃には作業することがなくて、何もせずに帰ったけど1日分のバイト代を貰えた。何だったんだろう。

 


二度の派遣以降、ずっとニートのまま過ごして地元の喫茶店に通ったり、夜のダムに通ったりしていた。

単館映画館のバイトに落ちたり、設計事務所に履歴書を送るも、不採用通知を受け取ってからは、労働意欲の無いフラフラしている人間になってしまい、アカネちゃんと出逢って別れ、ぐちゃぐちゃの精神状態時に、親から働くように言われていたら精神がおしまいになった。

数千円だけ持って、車内泊をしながら過ごすこともあった。ガソリン代ですぐにお金が尽きた頃には(このまま自殺しよう)と、通っていたダムに飛び込もうと決意する。死ぬ最期に、つっくんに「今から自殺する」と伝えてダム近くの駐車場でラインを送ったら「今から家に来い」と言われ、つっくんの家まで行った。つっくんは何も言わずにお菓子と数千円を自分に渡して帰らせらた。この時、自殺をする気も無くなってコンビニでパンを買って実家に戻った。

 


少し元気を取り戻した頃に、通っていた喫茶店の店主から「

ウチでバイトする?」と言われて7月頃から喫茶店でバイトをする。焙煎豆販売がメインの喫茶店で、土日以外は客が少なくて常連客と煙草を吸えるくらい自由にさせてもらっていた。珈琲の淹れ方はここで教わり、2歳くらいの息子の子守りをしたり、読書しながら接客できて珈琲も飲める最高の労働環境だった。

茶店でバイトを始めてから、日記をTwitterで書いていた。フォロワーが一桁しかいなかったけど、ある時フォローされた人と仲良くなって通話するくらいの関係になる。その相手(後の彼女)から勧められた「Stardew Valley」という農業ゲーム?を京都に住む友人(寺崎)を誘って一緒にやったり、Netflixを画面共有して観たりするくらい仲良くなっていた。12月にその彼女の家へ遊びに行くことになって、寺崎は京都から、自分は富山から東京へ向かった。新宿バスタで寺崎と合流、彼女の家へ朝6時頃に到着する。前日に仕事があったみたいで、寝惚けた顔のまま招き入れられたのはウケた。お互いに顔は知っていたけど小柄で華奢な彼女が、より可愛く見えた。2日間は3人で東京観光して、有名漫画家の人を含めて食事をしたりした。2日目の夜に京都へ戻る寺崎を見送ったあと、彼女の家で体の関係を持つ。